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信濃の疏水

諏訪地域

八ヶ岳山麓から清流を運ぶ 柳川三ヶ村汐(やながわさんかそんせぎ)

県内最大級の「ペンション村」があり、夏場は高原の避暑地として多くの観光客が訪れる諏訪郡原村は、今から約400年前の新田開発が始まりで、それ以前は神野と呼ばれる諏訪明神の御狩場であったと言われています。当時、諏訪地域では、戦乱で荒廃した耕地の復旧と拡大を目的に新田開発とともに、用水路の開削が次々に行われました。

「柳川三ヶ村汐」も新田開発時代、1686年(貞享3年)に開削されました。現原村の柏木・払沢・八ツ手の三新田村の請願を受けた高島藩が、八ヶ岳主峰群(赤岳・横岳・阿弥陀岳・硫黄岳)直下を源とする一級河川の柳川を水源とし、三新田村などから2000人を超える賦役を得て、僅か20日程度で建設したと伝えられています。

その後、諏訪地域の用水体系を再構築した坂本養川により、1800年(寛政12年)に、幅約1.8m、長さ約9㎞の水路に改修されました。柏木・払沢・八ツ手の各新田に加えて、下流の丸山新田(現在の茅野市)などの水田を潤す水路に生まれ変わり、米の生産は飛躍的に増大しました。現在も約120haの水田を潤し、高冷地の稲作を支えています。

最近では県営中山間総合整備事業により、老朽化した水路の部分改修が行われました。また、柳川三ヶ村汐から分水した柏払汐は、田園整備事業により自然と環境に配慮した石積水路に改修され、カラマツやシラカバの林の中を流れる美しい景色は訪れる人を楽しませています。
2012年4月掲載

◦参考文献 諏訪の農業用水と坂本養川(浅川清栄)