信濃の疏水

長野地域

先人の偉業 三水を優良農地に変えた 芋川用水(いもがわようすい)

飯綱町北東部に位置する旧三水村は、リンゴと良質な米の産地で有名ですが、『三水(さみず)』という村名は、芋川・倉井・普光寺の三用水に由来しています。
その三用水のなかで一番長い芋川用水が開削されたのは、天正8年(1580年)説と慶長8年(1603年)説があり、詳細は定かではありませんが、今から400年以上も前の戦国時代末にはすでに開かれていました。
開削の中心人物となったのは、上杉景勝に仕えた清水戸右衛門(長野市塩崎)でした。戸右衛門は、景勝の命で領内を巡視したとき、芋川一帯(旧三水村)が水利に恵まれず荒地であったのを見て、鳥居川から用水を引く計画を考えました。しかし、鳥居川は芋川一帯よりも標高が低かったことから、用水の取水口は遥か上流に位置する信濃町戸草地区に求めなければなりませんでした。
工事は岩壁を削り、隧道を掘りながら、山麓沿いの等高線上に総延長約22㎞を開削する大事業となり、完成までに28年を要しました。現在の延長は約30㎞となっています。工事が終わり、鳥居川から取水しようとしたところ、どうしても水路に水が流れこみませんでした。その時、傍らにいた戸右衛門の妻は、用水の成功を願い自らを人柱として鳥居川の淵に身を投じました。すると淵の水位が上がり、水路に水が流れ込み始めたという伝説も残されています。
芋川用水は、今も三水の農業を支える重要な用水としておよそ300haの農地を潤しています。
2016年3月掲載

・施設の管理者 三ヶ村芋川用水