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信濃の疏水

松本地域

農民の悲願と苦難の結晶 五ヶ用水(ごかようすい)

安曇野市明科の犀川左岸段丘を流れる五ヶ用水は、江戸時代の天保3年(1832年)に完成したもので、高瀬川を水源とする内川用水から分水し、押野山の麓を迂回しながら段丘上にある五集落の水田を潤した後、犀川にまで至る総延長12㎞に及ぶ水路です。

目の前には悠々と流れる犀川がありながら、段丘上には水が無く、雑穀や芋しか収穫できないこの地域の人々にとって、米を作ることは永年の悲願でした。しかし、水を引きたくても藩からの許可は下りず、ようやく許可が出ても、途中の集落までしか認められませんでした。代わりに造ったため池も雨の度に決壊し、失敗に終わっています。

村人たちは調査や測量を重ね、計画を練り直し、藩に訴え続けた結果、ついに全体の許可が下り、天保元年(1830年) 10月に工事に着手することになりました。山裾の斜面に土を盛り、谷を越えるための橋を何箇所も造り、土を何度も突き直すなど苦労の末、わずか7ヵ月余りで全線を完成させました。こうして出来上がった五ヶ用水により、約100haの新田が開かれました。

その後、昭和40年代に構造改善事業などにより改修され、人々の手で守られながら、200年近く経った今も、この地域の水田を潤しています。
2013年1月掲載

◦参考文献 「五ヶ用水物語」幅房子著

◦施設の管理者 五ヶ用水組合