信濃の疏水

松本地域

安曇野を横切る 拾ヶ堰(じっかせぎ)

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拾ケ堰は奈良井川より取水し、複合扇状地の中央を約570mの等高線に沿って横切り、安曇野市の約1000haの水田を潤す総延長15㎞の安曇野一の大水路で、流末は烏川に注いでいる。
拾ケ堰が誕生するのは文化13年(1816)。この大水路は3000分の1という非常に緩い勾配で、近代的な測量機器が全く無い中、クワやモッコだけによる手掘りで造られた。しかも、着手からわずか3ヵ月という驚異的な早さで完成されている。当時十か村を潤すというので十箇堰(拾ケ堰)と名付けられた。 その頃は、梓川を現在の様に逆サイホンで横断する術は無く、川の中に土俵の土手を築き、ミオ筋には牛枠で塞ぐだけのものであった。このため一度大雨で増水すれば、築いた土手も牛枠も流されてしまったが、当時の農民は流されても、流されても修理していた。そんな苦労が、農民の悲願であった梓川の底を通るコンクリート製の水路に生まれ変わったのは大正9年であった。
近年、国営・県営事業で排水機能も兼ね備えた近代的水路となり、平成15年からは住民参加のもと、安曇野の景観に配慮した整備を実施した。現在は土地改良区の維持管理を手伝う住民組織「拾ケ堰応援隊」も結成され、地域ぐるみの活動が行われている。
拾ケ堰は、四季折々の安曇野の風土記をその水面に映し、これからも愛され、守られていく安曇野の宝である。
2008年1月掲載

◦H19 関係5団体が㈳農業農村工学会「上野賞」を受賞
◦農林水産省「疏水百選」に選ばれる

堰
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