信濃の疏水

松本地域

村の願いは温な実り 温堰(ぬるせぎ)

安曇野の中央部を南から北へと流れる温堰は、梓川を源とする用水路の中で最も多くの水田(約1,000ha)を潤し、その延長は11㎞に及びます。温堰の開削年は定かではありませんが、この地域にある幾つもの堰の開削史は古く、ほとんどが荘園制(平安時代〜室町時代)の成立とともに開削されたと言われており、その事業は、一度に成されたものではなく、水田開発と集落成立を意図しながら、堰筋を順次延長する形で行われたと考えられています。

温堰と書いて「ぬるせぎ」と読む語源には諸説ありますが、山から流れ出る沢水や湧水に比べて、梓川から取水して運ぶことにより、はるかに水温の高い水を得ることができ、非常な喜びをもって「ぬるまっこい水の堰」すなわち温堰と呼称されるようになったと言われており、このことは、江戸時代頃まで「ぬる水堰」と呼称されていることからも推測することができます。

また、住吉村、野沢村、楡村、長尾村(明治7 年当時の筑摩県安曇郡の4村)が合併した温村むらは、地域の中央を流れるこの温水が、豊穣を約束するものであったことにちなみ「温」の字を「ゆたか」と読んで村名としました。温村は、昭和29年に明盛村、小倉村と合併して三郷村となり、平成17年には、周辺4 町村と合併して現在の安曇野市となりましたが、村の願いは今もなお、「豊(温)な実り」であることは恒久の願いに違いありません。
2018年5月掲載

  • 施設の管理者 長野県梓川土地改良区
  • 出典
    「温堰の歴史(長野県梓川土地改良区)」
    「角川日本地名大辞典(角川書店)」
    「三郷村の成り立ち(三郷村教育委員会)」