信濃の疏水

松本地域

安曇野の横堰のひとつ 新田堰(しんでんせぎ)

安曇野は、梓川や烏川等の河川によってできた広大な複合扇状地です。扇状地では水が地下浸透しやすく、特に扇央部は昔から農業用水がなくて苦労した地域です。このため、梓川からの水に加え、流量が豊富で安定している奈良井川からも取水し、等高線に沿った緩い勾配で水の不足する地域へと用水を導く「横堰」が、江戸時代に4つ開削されました。新田堰のほかに、矢原堰、勘左衛門堰、そして開削技術の集大成となった拾ケ堰が完成し、安曇野の干ばつ地帯を県内有数の米どころに変えることができました。

新田堰の開削は1608年頃に、安曇野市旧豊科町中曽根、吉野、成相、新田へ他の堰の末流や湧水などから水を集めて引いたのが始まりといわれています。1679年には、梓川から取水し、水路の大改修を行うことにより、約200haの水田に引水しました。その後、梓川の流量が不足し安定しないため、1813年には、梓川を越えて隣にある奈良井川から取水し、堰の幅を拡げる改修を、4月10〜17日までの短期間に、約2万人の力で成し遂げました。

現在、勘左衛門堰と一緒に梓川の合口取水工から取水していますが、梓川の洪水時に多量の土砂が堆積し、取水に支障を来たすため、県営事業により土砂吐ゲートを設置する工事を行っています。(平成30年3月完成予定)

春にはこども病院の北側を流れる新田堰と、たくさんの桜の花が、美しい農村風景を形成し、地域の人を和ませてくれます。(水路延長約7・7㎞、万水川で落水)
2018年3月掲載

  • 施設の管理者 新田堰土地改良区
  • ゲート工事の申請者 長野県勘左衛門堰土地改良区・新田堰土地改良区
  • 参考資料 命の水(安曇平の水利史・豊科編)