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信濃の疏水

上小地域

台地の疏水 八重原堰(やえはらせぎ)

東御市の南西、しなの鉄道田中駅から千曲川を渡り、坂を登ると広大な田園風景が広がっています。ここは八重原台地と呼ばれ、長野県有数の良質米産地として知られています。良質米が育つ条件は土壌が良いことですが、降水量の少ないこの地域では、まず安定した用水が必要であり、台地へ水を導く堰の存在がそれ以上に重要と言えるかもしれません。

八重原堰は今から約350年前、寛文2年(1662年)に小諸城主青山氏の家臣、黒澤嘉兵衛によって開削されました。水源は蓼科山麓にあり、当時の総延長は88㎞にも及ぶ長大な堰でした。完成までに約10年の歳月と10万人もの人足を費やし、工事は人命を落したこともあるという過酷なものでした。嘉兵衛は堰と併せて台地に明神池、田楽池などのため池も造成しました。これにより台地は大きく発展したのです。

堰はその後、改修を繰り返し、昭和37年から47年の県営御牧ヶ原農業水利改良事業により、立科三堰と呼ばれる八重原堰、塩沢堰、宇山堰は一本の幹線水路に統合されました。この時、下流域の水不足が懸念され女神湖が造成されました。現在の水路やため池はこの事業以降に順次整備され、各土地改良区が管理しているものです。近年も、堰の下流で集中豪雨等により水路が溢れる被害があり、改修を行っています。

明神池や女神湖周辺には用水開発に関する石碑などが目に付きます。台地が豊かな良質米の産地となった恩恵は先人達の労苦によることを決して忘れないために。そして後世に語り継ぐために。
2011年12月掲載

◦ 関係土地改良区 北佐久郡川西土地改良区連合・立科土地改良区・東御市八重原土地改良区