信濃の疏水

上小地域

信州の鎌倉“塩田平”にたたずむ 手洗池(てあらいいけ)

上田駅から別所温泉に向かう途中には、「信州の鎌倉」と呼ばれる塩田平が広がっています。この地域は、年間降水量900㎜を下まわる寡雨地帯で、水量が豊かな河川もないことから、昔は米作りに非常に苦労していました。このため、古くから数多くのため池を築くことで、肥沃な土地を活かし、江戸時代には「塩田三万石」ともいわれる穀倉地帯として発展しました。これらのため池は、「塩田平のため池群」として、「ため池百選」(平成22年農林水産省選定)に選ばれています。

この中の一つ「手洗池」は、貯水量約9万tを有し、27haの水田を潤しています。築造時期は江戸時代の初期、上田藩の財政再建策として水田開発に力を注ぐようになった頃と言われています。工事に当たっては、藩直属の専任土木技師が腰に短刀を差して指揮し、怠ける人夫がいないか監視していたほど厳しいものであったという話からも、ため池の築造がいかに重要なプロジェクトであったかをうかがい知ることができます。

「手洗池」という名は、ある伝説に由来しています。昔、柳沢村(現上田市古安曽)に大きなけやきの木があり、枝が折れた翌年には村が大嵐に見舞われる災難が続きました。村人たちが悩んでいると、木曽義仲に仕えていた手塚太郎金刺光盛に「けやきの木を切り倒して御神木にしなさい」と言われ、近くの池で手を清めてから、けやきを切りました。この際に手を清めた池を「手洗池」と呼ぶようになったといわれています。

塩田平にはこのような数多くの伝説がため池とともに大切に受け継がれています。現在は、「塩田平のため池を愛する会」や「塩田平ボランティアガイドの会」を中心に、ため池を観光や地域学習に活用する取り組みも進められています。ため池によって創り出された塩田平の風景や歴史は、多くの人に親しまれています。
2018年7月掲載

• 施設の管理者 上田市塩田平土地改良区