全国水土里ネット
公式サイトへ移動します

信濃の疏水

飯伊地域

天竜川沿岸の農業を支える 竜東井(りゅうとうい)

竜東井

竜東井は全長約11㎞の幹線水路です。松川町生田の天竜川左岸から取水し、豊丘村・喬木村の天竜川沿岸の農地約260haを潤しています。竜東井の歴史は、「間夫井」と「竜東一貫水路」を統合して整備されたのが始まりです。
 間夫井の歴史は古く、旧河野村(豊丘村)の新田開発に伴う用水確保のため、延宝5年(1677年)には天竜川の取入れが完成し新田を潤しました。しかし、豪雨の度に河床が低下、その都度、取入口を上流へ移動しました。
 一方、旧神稲村(豊丘村)、喬木村ではそれぞれ天竜川から用水を取入れていましたが、昭和13年、豪雨で取入口の被災と河床低下が生じ、取水が困難となりました。そこで両用水を合わせ、昭和16年に「竜東一貫水路」として整備されました。
 その後、昭和28年7月の災害により間夫井、竜東一貫水路とも取入口が破壊され、両井水を統合する構想が持ち上がりました。昭和29年1月に着工し、トンネル工事では落盤が起こるなど難航したものの、約600m上流に取入口を移動し、昭和31年春に「竜東井」が完成しました。
 天竜川沿岸の水田は、天竜川堤防が整備された明治以降の開田が多く、この竜東井により、安定した水利用が可能となりました。現在もその恩恵を受け、水稲栽培を中心に、イチゴやキュウリなどの施設園芸が行われています。
 近年は、竜東井に平行して竜東一貫道路が整備され、商業地化・宅地化が進み、昔の面影は薄れてきましたが、先人が苦労して引いてきた水とその歴史は後世にも語り継いでいきたいものです。
2011年9月掲載

◦ 災害と河床低下により、昭和44年にさらに300m上流に取入口を移動し、現在に至る。
◦ 「まぶ」とは隧道や坑道を指し、取入口付近の岸壁を掘り抜き、水を運んだことから間夫井と呼ばれる。

竜東井
図