信濃の疏水

飯伊地域

地域繁栄の思いをつなぐ山腹水路 帰牛原井(きぎゅうばらい)

下伊那郡喬木村の「帰牛原」地籍は縄文時代(3500~4000年前)に人が住み始め、弥生時代(2000~2500年前)に作物を作るようになったと言われています。
江戸時代の初期までは、わずかな湧水に頼る農業で、水田も少なく数軒の農家が水の確保に苦労しながら農業を続けていたそうです。
江戸時代の中期に入ると、用水の確保のため、深田の堤、中堤などのため池がつくられましたが、晴天が続くと池が干上がり、相変わらず農家は苦労を強いられていました。
人々は、山から湧き出る水が常時流れている加々須川から水を取ることができれば、どんなに助かるかと思い、江戸時代初期に役人に願い出ましたが、下流の取水権者との調整が難しく、ようやく工事に着手できたのは明治時代に入った頃のことでした。
加々須川からの水路の長さは約4㎞ですが、工事の主体となったのは人の手で、切り立った断崖絶壁の岩を削って山腹水路を通し、岩盤を刳り抜いてトンネルを造る、まさに命がけで危険な工事でした。
こうして明治3年に念願の水路「帰牛原井」が完成し、その後、水田の面積が10倍に、集落の戸数も2~3倍に増えたと言われています。
帰牛原井が潤す農地は、昭和50年代に、ほ場整備や末端水路の整備、暗渠排水工事などが実施され、今では安定した農業が営まれています。
2014年7月掲載

◦施設の管理者 帰牛原井用水組合