信濃の疏水

飯伊地域

人々の食を支えた水路トンネル 大久保沢井(おおくぼさわい)

阿南町は、米・麦・養蚕などの農業や、製糸業が盛んであり、明治の初めから人口増加が続いていました。
特に、終戦後は、山林資源の活用や食料を求めて人口が集中した時期があり、明治7年の約6000人が、昭和25年には約1万2000人に増加しました。
国が、昭和18年に臨時食料増産対策を打ち出したのを受け、阿南町(当時の大下条村)では、山あいに点在する農地の生産力強化のためには、村全域の水利計画が必要と考えました。特に大久保沢水系については、実地調査のための技術者派遣を県へ要請するなど積極的に活動しました。
昭和20年1月、平久、早稲田、上和知野の三集落の代表者で「大久保沢水路開発組合」を設立しました。当初、水源を、明治時代から取水が考えられていた「フコギ沢」としていましたが、詳細な調査を行ったところ、水量が少ないことが分かり、和知野川の支流である「大久保沢」を水源とする計画に変更し、測量に入りました。終戦直後の事業で、物資は不足、食料は枯渇、測量作業に必要な草刈り鎌もなかったほどでした。
また、工事費の地元負担金は、地域関係者全員の味噌、米などの現物で賄うこととしましたが、供出米の1割にあたり、農家保有米から賄うことは生活上厳しいものでした。
こうした困難な状況のもと、農家の理解と協力を得る中で、昭和21年にようやく工事に着手できました。
昭和25年、全長1662m(隧道11箇所を含む)の大久保沢井水が立派に完成し、平久、早稲田、上和知野の三集落の美田50haを今も潤し続けています。
2015年5月掲載

◦施設の管理者 大久保水路委員会