全国水土里ネット
公式サイトへ移動します

信濃の疏水

北信地域

郷土の偉人を偲ぶ 奥山堰(おくやまぜき)

野沢温泉村は長野県の北部、千曲川右岸に位置し、村の最高峰である毛無山(標高1650m)の山頂から北西に広がる野沢温泉スキー場と麓の温泉には、国内外から多くの観光客が訪れています。
村の西部、かつての平林村(現在の野沢温泉村平林)では、明治の始めまで用水を湧水に頼っていたため、水不足に悩まされていました。奥山堰はこれを解消し、水田を増やすため毛無山の東の※1奥山に水源を求め、明治12年、関口銀右衛門が村内の有志11名とともに開削を計画しました。この堰の延長は約21㎞、うち約180mが山を掘り抜く隧道で、当時村民の中には難事業と危ぶむ者もいましたが、私財を投入して取り組んだ銀右衛門らの懸命な努力により、10年の歳月を費やして完成に至りました。これにより悲願であった用水の安定確保がはかられました。平林村の農業の発展を支えたこの奥山堰開削の功績を称え、國中平神社には※2記念碑が建立されています。
奥山堰は、現在も上ノ平土地改良組合により大切に守られ、豊かで清らかな水は、農業用水だけでなく生活用水にも利用され、村に多くの恵みをもたらしています。
2015年8月掲載

◦施設の管理者 上ノ平土地改良組合
※1 奥山という地名はなく、山の奥をあらわす地元の呼称
※2 記念碑の土台には平林村が生んだ丸山忠右衛門の丸石積という技術が使われています。忠右衛門は、幕末のペリー来航に対する品川沖のお台場(砲台)づくりにも貢献した石工で、農事の傍ら石積に関心を持ち、丸石積を考案し、多くの弟子も育てました。丸石積は、石の外面を石槌とノミを使って丸みをつけた緻密な石積で、堅牢と美観を兼ね備えた工法です。