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信濃の疏水

上伊那地域

満開の桜が彩る 六道の堤(ろくどうのつつみ)

江戸時代の末期、嘉永元年(1848年)高遠藩主内藤頼寧は窮乏する藩財政を打開すべく、家臣の池上三右衛門、清水兵作らに新規開田を命じました。計画は野の 笹村栗幅(現伊那市高遠町長藤)の藤沢川から引水し、鉾持桟道の脇を隧道で通過させ、芦沢に出て笠原を通り、六道原に至る約10㎞の新しい井筋(水路)を開削するものでした。
当初はこの「六道の堤」の建設計画はありませんでしたが、工事の最中、上島村(現伊那市美篶上大島区)より名主の利右衛門と村役人を代表とした六道原開発の陳情書が出され、「六道の堤」の建設が決定されました。
嘉永2年(1849年)に始まった堤の工事には、広く藩内の領民が動員されました。他村より動員された百姓たちはうっぷんばらしに「あぁさんよ(三右衛門のこと)どうづけよ」と掛け声を繰り返し地固めをしたと言い伝えられています。
嘉永4年(1851年)9月に完成。新井筋によって六道原に新しい村が開かれ、藩主頼寧より「末広村(元伊那市美篶末広区)」と命名されました。
この堤の広さは約1万6000㎡、現在も六道原に広がる水田約34haを潤し、春になれば水面に映る満開の桜が、東西の南アルプス、中央アルプスの白い雪と美しいコントラストを見せてくれます。
2010年3月掲載

◦施設の所有・管理者 末広財産区
◦用水の管理者 長野県美篶土地改良区