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信濃の疏水

上伊那地域

2つの井筋を6:4の取り決めにより分水 横沢井(よこさわい)

横沢井は、与田切川の上流の横沢川から取水し、七久保村(現飯島町七久保)、本郷村(同本郷)、前沢村横間屋(現中川村横前)などの200haあまりを潅漑する用水路で、明暦2年(1656年)に建設されました。
「井」(い)というのは、農業用水路のことで、長野県の多くの地方では、用水路のことを「堰」(せぎ)と呼んでいますが、この地域では、井と呼んでいます。
延宝3年(1675年)には、井筋の大規模な改修工事があり、飯島町七久保宮の上(大宮七窪神社西)において、北井に四合、南井に六合という分水が行われました。
その後、開田が盛んに行われた南井では、渇水時の取水を巡って、七久保村と前沢村の間で、水争いが頻発しました。そこで、文政7年(1824年)に、番水を昼夜の時間制とし、七久保村は、昼分として午前6時から午後4時、前沢村は、夜分として午後4時から午前6時の間としたことで、これ以降は大きな水争いが起きなかったといわれています。
明治6年(1873年)には、与田切川からの水路が開削され、横沢井と合流し、水量が増えたことで、時間制の番水は行われなくなりました。
こうした「水論」(みずろん・すいろん)と呼ばれる水争いの歴史を待つ横沢井は、今も飯島町、中川村の間で大切に守られ、地域の農業を支えています。
2015年9月掲載

◦施設の管理者 七久保片桐水利組合