信濃の疏水

上伊那地域

170年の苦難の歴史 伝兵衛井筋(春富1号幹線水路)(でんべえいすじ・はるとみいちごうかんせんすいろ)

伊那市東部に位置する「伝兵衛井筋」は、現在の伊那市富県の桜井、貝沼、原新田、榛原、南北福地、東春近一帯の農地490ha余を潤す水路です。
明暦元年(1655)、高遠藩の許可を得て北佐久郡五郎兵衛新田の柳沢弥左衛門等が水路工事に着手、4年後にわずかの取水に成功しました。しかし、万治元年(1658)の洪水により難所であった「鞠が鼻隧道」が崩壊し、以後100年余り荒廃したままとなりました。文化11年(1814)、原新田村の人々が多額の資金を借入れ水路改修を行いましたが、漏水等が著しく水路の維持管理に更に多くの資金を要したため、計画は頓挫しました。
天保2年(1831)、このような状況を見かねた伊東伝兵衛(現伊那市長谷出身)は、自費により水路の大改修を行う事を決意し、2年後の天保4年(1833)、遂に東春近一帯までの通水に成功しました。170年余りを経て水路を完成させた伊東伝兵衛の偉業を讃え、いつしか水路は「伝兵衛井筋」と呼ばれるようになりました。
昭和30年、「伝兵衛井筋」は三峰川総合開発事業により大改修が行われ、新たに「春富1号幹線水路」として生まれ変わりましたが、現在でも「伝兵衛井筋」と呼ばれ親しまれています。
また、地域の財産「伝兵衛井筋」を後世に伝えようと施設管理者である「伊那市春富土地改良区」は、地元小学校を対象に出前授業を実施し、先人達の苦労や農業の大切さなどを子供達に伝える活動を実施しています。
2014年1月掲載

◦施設の管理者 伊那市春富土地改良区