信濃の疏水

佐久地域

400 年の時を越えて 地域農業発展の恵み 四ケ用水(しかようすい)

佐久市にある四ケ用水(三河田堰みかわだせぎ)は江戸時代初期、市川五郎兵衛真親(いちかわごろべえさねちか)により開削されました。佐久市にある五郎兵衛用水や幻の米と称される五郎兵衛米にもその名を残しています。
佐久市に隣接する上州南牧村(現群馬県)で生まれた市川五郎兵衛は、仕えていた武田家が滅びると「志すでに武に非ず、殖産興業にあり」と徳川家康に申し出て、領地内で土地の開拓を認める朱印状を与えられました。これを持って佐久に入り、浅間山を水源とする湯川から水を引き、最初に三河田新田を開拓しました。水路の名は受益地の旧村名である三河田・猿久保・今井・横和にちなみ四ケ用水と呼ばれています。
湯川から取水して2㎞程の所に、素掘りの隧道(トンネル)があります。当時どのような工法で掘ったのか詳しい記録はありませんが、その佇まいからは水田へ水を導くための先人の苦労が伺えます。平成12年には老朽化のため新たな隧道が建設されましたが、380年間使われてきた隧道は、今もなおその歴史とともに残されています。
昭和34年、この地域を襲った台風により湯川が増水して取水口が被災し、用水が止まり、水稲が枯死しそうになったそうです。このような幾多の苦難を乗り越え、この四ケ用水は122haの農地を潤し、水稲のほかレタス・ハクサイなどの野菜栽培にも活用されています。
用水の恵みを受け、また来年も豊かな実りをもたらしてくれることでしょう。
2017年1月掲載

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